残せ、残すのだ

考えが浮かんでは消え、また浮かんでは消え、人間の頭の中はこの繰り返しだけど、どんな些細なことでもそのすべてをつなぎとめることが出来たなら、何らかの形に残すことが出来るのなら、それはものすごい量になるしそのどれもが実はすばらしい可能性を秘めたものではないか。
誰かの文章を読んで素直に共感できるとしたら、それは以前自分も同じ事を考えたことがあるからだ。もともと自分の中にあったのだから容易に受け入れられて当然の話である。
そういうものに触れてまず思うのが、何で俺はあのときに何も残さなかったのだろうという後悔である。思うように形に出来なかったというのもあるが、そういう自分の能力の無さも含めて何故だか悔しいのである。
それは、自分の存在意義に対する戸惑いからくるのかもしれない。こうした文章でも、仕事の成果でも、あるいは子供を産むでもなんでもいいが、不思議なもので人間は自分の生きた証を欲するようである。
小さい頃から「夢を持て、努力しろ」と大人に言われてきたからなのか?いや、違う。
別に世のため人のためなんて考えもない。
子孫を残せと、組み込まれた遺伝プログラムに従っているからなのかと言われたら少し悩むけど、それも少し違うと思う。
まあ、その理由を今考えてもしょうがない。大事なのは俺が俺らしく生きること。なるだけ迎合せずにどこまで自分に迫れるか、真に興味があるのはこの一点なのだろう。