花粉?

風邪ひいてるわけでもないのに、今日はめちゃめちゃくしゃみが出た。鼻水もすごかった。
どうやら花粉のせいでこうなっている気がする。
人間の高精度な花粉探知能力に乾杯。
そしてティッシュ配りのお兄さん、お姉さん方に感謝。あのティッシュは重宝しています。

魂の座

東北の実家から東京に帰ってきたのはおとといあたりですが、こちらに帰ってきたときに感じたのはまず、東京は涼しい、ということ。北の、肌に突き刺さるような寒さを久々に味わって、これに比べると東京はなんて優しい街なんだろうと。
寒いというだけで、雪は降る、その雪は積もり道を凍らせ俺は何度も滑るわ、車は徐行を強要され友達は2時間遅刻するわ、挙句には帰りの新幹線もトラぶって30分止まる、こんな厳しい土地によく住んでいたなあと他人事のように感心してしまいました。
人の多さも改めて実感しました。10日ほど離れていただけなのに、なんでこんなに人間がいるの?と口をついて文句が出てもおかしくないくらいに自然に思いました。人間はもっと分散して住むべきだね。
にしても、田舎は明らかに退屈なのは間違いない。衣食住、遊びなど一通りそろってはいる。しかし、言い方が悪いけど中身がスカスカで選択肢が少ない。
それは街並みにも現れていた。東京は余ってる土地なんてほとんどなくて、空に高く高く建物を建てているのに対して、俺の地元は空いてる土地が本当にたくさんあって、そして建物の高さは低い。様子見がてらいろいろと歩いたけど、数年前と比べて見晴らしが大して変わってないというのは、この街はこれ以上の発展の仕様がないことを示すかのようでもあった。
それでも、ちょっと目線を落とせば、昔は畑だったはずの場所がきれいに舗装され、その歩道の先には新しい住宅地が出来ていたし、大きな団地の周辺にはスーパーなどいくつもの商業施設が建ち並び、市内にはそういう地区が増えて昔よりは生活がしやすくなったようである。それなりに発展はしていながらも俺にはそんなに響いてこなかったのは、地元への関心がなくなったというのはもちろんのこと、そしてそれ故に、急激な変化がない限りは驚くこともないからだろう。
その関心というのも、人間自身は土地に縛られて生きるのではなく人間自身に縛られているところが大きいからだと思っている。仮に、地元の親と友達全員が首都圏に来ていたら俺の中には地元に帰る理由がない。これは薄情なのかもしれないけど、本心なのだ。もともと住みにくい土地にあって物資の豊かさでは都会には及ばないなかで、結局行き着く先は人間そのものということだ。馴染みの街、というか自分が育った街なのだからよく知ってて当たり前なのだが、それだって自分の知らないところで毎日微小な変化を繰り返す。いろいろな施設が出来たというのは前述したが、なくなったり潰れた店もたくさんある。地元を地元と見なせる理由のひとつがそこでの思い出にあるならば、すでに思い出の中でしか存在しない、懐かしむことも出来なくなった場所に赴く意味は何なのだろうか。こうして俺の中からその実体が薄れていっている。
ところで、そのような変化が単に都会を追っかけた形の現れならば、それはすごく危険な気がする。土地固有のものが駆逐されてしまっているというのは好かない。時代の流れだと片付けることはできるが、そんな画一的なものは東京だけで充分だし、固有だからこそ愛せるというのものではなかろうか。
今回の帰省では、やっぱりラーメンを食べた。友達にも家族にも呆れられながらも9日間で8杯ほど食ったのだが、ラーメン屋も入れ替わりや味の変化が激しいという点でこの話題に漏れないもののひとつである。どこにいこうかいろいろと調べてふと思ったのは、都内の有名店の支店や全国展開するチェーンがかなり増えたことである。そうした店が地元のおいしい店として紹介されているのだ。今地元に住んでいる人間からすればおいしい店が増えたのは喜ばしいことなのかもしれないが、結局はこうしたこともパイの奪い合いであることを考えれば、昔からの店はそれだけ苦しくなっているということである。弱いものは淘汰されていくのは世の常だとしても、閉店に伴って付帯してくる様々な喪失感を思えば商業主義なんて全くクソ食らえだ。腹水盆に返らず、とすればなるだけ起きてほしくないことであるし、地元の店はがんばってほしいと切に願う。
結局、俺の帰れる場所はどこなのだろうか・・・そんなことを考えたお正月でありました。

新年早々ですが、敗戦の弁

帰省先の初売りに行ってみましたが、どう見ても余りものしかありませんでした。
ありがとうございました。



何か悔しかったので1万円の福袋に手を出してしまいましたが、開けた袋の中身はどう見ても去年の売れ残りでした。
本当にありがとうございました。





携帯から簡単な更新で恐縮ですが、こんな感じで新年はスタートです・・・

年内はこれにて

先ほど「きっこのブログ」を拝見してみたら、今度は輸入再開に伴う狂牛病関連のことを取り上げていました。いやー、非常にエネルギッシュです。この調子で上海総領事館職員の件についても是非書いてほしいですね。


さて、今年の自分を簡単に振り返ると、いろいろな面でだんだんと状況はよくなりつつあるのは実感しました。少なくとも去年よりも今年はいい感じだったと思います。かといって、一般的に見るとあんまり褒められたもんではないのですが、それでも結局は自分が一番大事ですからね。ほんとにマイペースですが、それがいかにも俺らしいかなと。


まあとりあえず今年はこんなもんで。皆さまよいお年を〜。


多分来年は3日あたりから何か書きます。

ランキングはくだらない

結局、TBSの麺王を見てしまったわけだが、ランキングの類なんてどうでもいいと前々から考えているところがある。多分前にも同じようなことを書いたと思うけど。

例えばCDの売り上げランキングは、CDがそれだけの売り上げ数を挙げたという事実以外に本来は何の意味も持たない。ラーメンの場合は人気投票だが、売り上げ数が支持数に置き換わっただけでCDの場合と全く同じである。そもそも感性や感覚で味わうものなんて自分が良いと思えばそれで完結するのだ。そこに他者が介在する余地はない。

だた、ランキングに表した結果として、それにくっついてくるうまみというか、引き寄せられてしまう人間の意識をうまく利用出来て、これこそがランキングをすることの実質的な意義となっている。だからこそ、どうせ組織票が暗躍してるんだろうとかどうせ知ってる店ばっかりなんだろうとか想像がつきつつも、「みんながうまいと思ってる店はこういうのなんだ〜今度行ってみよ」と釣られ気味に見てしまっているのだと、おそらく思う。頭では分かっていても、これは悲しい習性なわけだ。収穫があったといえば動画にて商品が確認できたことくらいだが、これはランキングとは全く関係はない。

創作ラーメン対決もどうでもよかった。それは、博多一風堂店主の河原氏が「こんな勝負で負けてもちっとも悔しくない」という発言からも、結局は茶番に等しいものであったことが見て取れる。
しかし、審査員に「うまい」と言われて涙を流した姿は本物だと思った。ラーメン屋は客にうまいものを食わせたくて心を込めてラーメンを作り、客はラーメンを堪能し満ち満ちた喜びを作り手に表したとき、それはそれは幸せな空間となるだろう。純粋にお互いがお互いを求め合い、結果、その思いが成就するというのは実に素晴らしいことだと思う。おそらく、人間が存在する意味を求めるとすれば、こういうことはひとつの答えといえるのだろうな。

それはさておき、そろそろ今年の食い収めをどこにしようかと考えているわけですが。今年は実家に帰るので正確に言えば都内での食い収めですね。実家のほうで何杯か食べる予定です。それが本当の食い収めになります。

第一候補は多分29日にべんてん@高田馬場。出来るだけファーストロット食いたいけど、くそ寒い中10時半前から並ぶのは自殺行為とも・・・しかも全国的に実質的に休日みたいなもんだし、ラヲタのみんなが並びたがると思うとかなり大変。だめなら斑鳩@九段下か、もしくは適当に。遠すぎだけど雫@福生というのもいいな。

ちなみに今年食ったのは今まで190杯くらい。これでラヲタを名乗るのも恐縮であるんですが、でも数じゃない、いかに自分が納得してラーメンを食えたかということに重点を置いていきましょう。

ああ、べんてんの元旦ラーメンを去年食っておくんだったorz

blogは力なのか

耐震強度偽装問題について。
さらに思ったことは、マスコミが知りつつも取り上げられなかったことを、ネットで騒がれたからといって再び取り上げるのは無いだろうということです。ネットの世論への影響力というのは、切込隊長のブログによれば前回の衆院選にてそこまで無いことが見て取れるらしく、それは、自ら興味を持たない限り情報に触れることはないというネットの特性を考えれば分かりやすいのではないかと思います。従って、いくらかの人間に知れ渡ろうともそのまま押し通せるだろうという判断が一番妥当なんじゃないかと思いました。


と、初めは考えていたのですが・・・
あの立花隆氏が自身のスペースでも「きっこのブログ」を取り上げているようで、それによれば、各マスコミはきっこのブログからネタのきっかけを掴んでいるとか。


なんだかもうよく分かりません。こうなると、確かにR30氏が指摘するようにブログが議題設定の場として力を持ってきているというのは理解できるし、川の水が堤防に開いた小さな穴を押し広げて決壊させてしまうがごとく、マスコミが「きっこのブログ」の勢いに乗っかって上からの圧力なんておかまいなしにゴリ押しで記事にしているのかなと。


マスコミがその気なら、ネットからの発議という目的を達成するのかもしれない。その機運を「きっこのブログ」の管理人が感じ取っているからこそ次々と裏のネタを挙げ続けているのかもしれない。しかしそれ以前に、世論として原因究明の声は高いのだから、この流れが止まることはもう無いのかもしれない。


こういうのもある種の力学といえるんだろうけど、運動方程式を解けば挙動が分かるってもんじゃないから憶測でしか言えないし、俺にはそれを解くスキルも経験も無いです。まあ、こうして妄想することが一番楽で楽しいんだけどね。


とりあえずこれまで通り展開を見守るしかないですな。